「今日という日は、このために」
 #4 形にあらざる何か

1994年7月、私はインド北部ヒマラヤ山脈の麓に位置するジスパという村で、2週間近くを過ごしていました。
あるドキュメンタリー番組の撮影のためです。

標高3,200メートルにある人口300人程度の小さな村に、3万を超える人々が集っていました。首都デリーから険しい山道を車で丸2日かかるこの地で、チベット密教の最も重要な秘儀の一つ、カーラチャクラ・イニシエーションが行われるからです。僧侶をはじめ多くのチベット人そして海外からも、ダライ・ラマ法王の教えを授かろうと参集してきたのでした。

なかには、何ヶ月もかかって歩いてきた、という老人にも出会い、チベットの人にとって一生に一度あるかないかの大切な「時」がこの地で繰り広げられることを、私に直感させました。それは、10日間に渡るイニシエーションを受けることで、人々の魂と肉体が浄化され、この土地、さらには世界が浄化され平和がもたらされるという、形にあらざる何かが私の中にも流れ込んできた感覚でした。

読経が響き渡る小さな寺院の中では、カーラチャクラ曼荼羅の最初の一粒の砂が、聖水で清められた板の上に、法王自身の手によって据えられようとしていました。まるで一雫の水のように、静かに、そして確かに。その波紋が、カーラチャクラの宇宙を表す砂曼荼羅の姿へと、数人の僧侶たちの手によって描かれ続けていくのです。それは、赤、白、青、緑に染められた一粒一粒の砂が絶妙に織りなすことで顕れてくる極彩色の世界。
気が遠くなるほどの作業が、昼夜延々と繰り広げられていきました。

数万人を前に法王が「教え」を説く間も、寺院の中では砂曼荼羅の制作が続けられ、最初の一粒から4日目、ついに完成の日を迎えました。 さらに全ての「教え」が解かれた満月の日、参列者に向けて砂曼荼羅が公開されました。列をなし、初めて眼にする砂曼荼羅の前で胸に手を合わせる人々。まるで、この日のこの一瞬に全てを捧げ、また受け留めようとするかのように。

翌日、砂曼荼羅は高僧の一人が手にした金剛杵によって、一気に崩されていきます。一瞬にして極彩色は雲散し、残されたのは元の姿に戻った砂。「全て」を司る曼荼羅に姿を変え、また砂に還っていく。
最後には、祝福を受けた川に流されていくのです。
そこに残されたのは、形にあらざる「無」だけでした。



この時の映像は、TBS「未来からの贈りもの〜この星を旅する物語」(龍村仁監督)に収録され、「未来圏からの風」(池澤夏樹著/PARCO出版)に記されています。