「今日という日は、このために」
#2 目を閉じることで見えてくる世界
「風の色」という言葉の意味を、今でも深く考えることがあります。 このフレーズは、龍村仁監督の著書「地球(ガイア)のささやき」(角川文庫)の中に記された、ある章のタイトルに使われています。
そこには、人生の最終盤を迎えようとしている母親と共に歩く、春を迎えた新宿御苑での一場面が描かれています。 病のため視力と記憶を失いつつあった母親の手を引きながら、ふと立ち止まった時に母の口からこぼれ落ちた詩。

「『ゆったりと、想い出のままに楽しみて、桜吹雪の中を行くなり』まるでひとり言のように二度ほどつぶやいてから、母は再び白さの中に還って行った。」と記されています。
見えぬ目で、一瞬の風を感じ、宙に舞う桜を感じ、その色を感じとっていたのでしょうか。
そして、再び白い世界へ還っていった母親。「母は風の色を見ていたのだろうか」と締めくくられています。
今から30年ほど前に描かれたこの光景が、私の身にも起こるとは当時思いもしませんでした。それは、終末期を送る病棟に身を寄せた母を、姉、兄、そして私の3人が昼夜交代で見守っていた時のことでした。ただただ見守ることしかできない時間、すでに会話もままならない母の手をさすりながら、その時間を外したような時が過ぎていく中、ある時母は私に突然つぶやいたのです。

「桃の花が綺麗やね」と一言。
病室にはもちろん花はありません。
ただ、今しがたナースセンターに活けられた一輪の桃の花を私は確かに見ていました。
その姿が、あまりにも病室とは異なる「生」の何かを感じたのか、写真にまで収めていたのです。
その花の姿を、まだ「生」の中にある母は、私を通して確かに感じ取ったのでしょうか。慌てて写真を母に見せたその頃には、母はもう白い世界に還ってしまっていました。
その翌日、仕事のため奄美大島に向かう私に代わって、母の元で長年に渡り支えてきてくれた姉に看取られ、生まれた日と同じ日の朝方を選び、あちらに還っていきました。
「桃の花が綺麗やね」あの短い会話が、母との最期の思い出となりました。
それ以来、私はことあるごとに「風の色」というフレーズに潜む何かを追い求めてきたように思います。龍村さんが書き遺した「色にあらざる風の色」。
それは「目を閉じることで見えてくる世界」なのかも知れません。
- 「地球(ガイア)のささやき」初期単行本が「ゆの里・このの」の書棚にひっそりと並んでいます。
